朝起きて、ラジオをつける
コーヒーを飲みながら、支度をする
日傘をさして、駅まであるく
靴屋の老夫婦が、力を合わせてワゴンを出してる
嬉しい日も、悲しい日も
311以降、生きてる世界が別のものに変わった。
自分なりに調べたり勉強すればするほど、増す恐怖や呆れ…
あたまが沸騰しそうになる。
でも、知らぬが仏でもいられない。
電車で、「NO NUKES」ってバッジを鞄につけてる人を見かけた。
小出さんの本(原発のウソ)にも一番最初に書いてあった。
『起きてしまった過去は変えられないけど未来は変えられる』って。
自分の暮らしを見直す
社会とのかかわり方を見直す
もう死ぬまで、無関係ではいられない
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それにしても
人によって発信する場所や方法はいろいろあって、
それはどんなことに対してもそうだけど
自分の見てる一面だけで人の立ち位置を安易に決めつけてしまわないようにって
最近ちょっと思った。
人のチャンネル。自分のチャンネル。
使い方はほんとに人それぞれ。
もっと心をオープンに。
その塩梅がむずかしいけど。
なんにせよ、なにかを発信するということは
些細な事(直接/間接的)にでも傷つくリスクを背負うということで
だれにも批判も攻撃もされたくなければ、貝のように黙り続けるしかないということ。